創世記クライマックス〜第50章
お父さんヤコブから
特に可愛がられ、
他の兄弟たちからとても
妬まれた11番目のヨセフ
他の兄弟達から殺そうと画策されるも
やはり殺すのはまずいよ
ということで
エジプトに奴隷として売られてしまいます
しかし、
エジプトで夢をよみといて
王に気に入られ、
大出世✨
来るべき飢饉に備えて
備蓄を進言し
それによって富めるエジプトに
元の兄弟達が穀物をもらいに来る
まさか、
この王の全権を受けて
働いているこの方が
自分たちが売った弟ヨセフだとは気づかない
兄弟たち
最愛の弟ベニヤミンを
連れてくることを
穀物を与える代わりに要求した
ヨセフは、
ベニヤミンのみをエジプトに残すために
画策をするが
4番目の兄ユダが、
この末弟が帰らなかったら
年老いた父が生きていけなくなる
自分が身代わりになる!
自分が奴隷となって残るので
この可愛い末弟は
父の元に返してくれ
というユダの真心に打たれ
ついに自分の正体を明かすヨセフ
己の命を捨ててでも
誰かを守ろうとする行動は
天の御心にかなう
聖書とは
聖人の物語ではなく、
だんだんと人が向上していく物語✨
最後にヨセフは言う
「あなた方はわたしに対し悪を企んだが
神はそれを良きに変わらせて
今日のように多くの民の命を救おうと
計らわれました」
天のあの方は
悪意すらも善意に変えられる
意地悪をされても
恨むことなく思いやりを返すことが
どう見ても悪いことをも善に変えていく✨
創世記
ありがとう✨
武雄の大楠
3,000年前から
佐賀武雄の地で
人間の営みを
見守り続けてくださった
佐賀県武雄の大楠が
武雄神社の奥に
祀られてあります
圧巻のご神氣✨
奈良時代735年創建の神社
この御神木から見たら
私たちも
源頼朝も
同じ時を
一瞬に生きた人間に
見えるんだろうなぁー
大正5年に発行された五円札
武雄神社の御祭神だそうです
おみくじがシャレてます
矢を射るおみくじ
大楠の横の竹林では
たけのこがすくすく竹に成長ちう✨
もみじの🍁葉っぱには
お花が✨
ご神威で結ばれた2本の檜
武雄神社の下には
射的の乙女達が
少し小高い山の上に立つ
由緒ある場所に
つれてきてくれた
おトキさん♥️
GW中日の佐賀の1日でした✨
歴史は虹のようなもの🌈
いわゆる「東京裁判」
インド代表判事
ラダビノードパール判事
初めてパール判事のことを知ったのは
京都にある京都霊山護国神社にある
坂本龍馬さんのお墓にお参りをした時
わが国のために働き命を落とした方々の
お墓の中にパル判事の言葉が書かれた
碑があった
そこで知りました😭
東京裁判当時、
パル判事には重病の奥様がいらしたそうだが
奥様はこう言われたそうである
「あなたは日本国の運命を裁く大切なお体で
す。どうか裁判が終わるまでわたしのことは
構わないで」
その言葉通り
パール判事は一人ホテルに籠り
一切の娯楽も求めず
1928年から1945年までの
18年の歴史を
2年8ヶ月かかって調べ
心血を注いで判決書を書き上げられたそうである。
その判決書は被告全員に対して「無実」の判決を下していた。
それは、決して同情からではない
「正しき法を適用したに過ぎない。
なんの法的根拠もなく
勝者が敗者を裁く蛮行を
見逃すことはできない。
この裁判の一番の被害者は
『法の真理』である」
だが、その判決書は東京裁判では朗読もされず、GHQ占領下での日本では、一切の公表を禁じられたそうである。
パール氏は東京裁判の四年後
再来日し、広島で原爆慰霊碑に献花された
だが、碑文の意味を通訳に聞くと
表情が険しくなられたそうである
「この『過ちは繰り返しませぬ』という過ちは
誰の行為を指しているのか
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であ
り、その原爆を落とした者は日本人ではない
ことは明瞭である。
落とした者が責任の所在を明らかにして
『二度と再びこの過ちは犯さぬ』というなら
うなずける
この過ちが、
もし太平洋戦争を意味しているのなら
これもまた日本の責任ではない
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために
蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカはABCD包囲陣を作り
日本を経済的に封鎖し
石油禁輸まで行って挑発した上に
ハルノートを突きつけてきた
開戦の責任は誰にあるのか
東京裁判で
何もかも日本が悪かったとすることが
これほどまでに
日本人の魂を奪ってしまったとは
思わなかった
東京裁判の影響は
原子爆弾の被害よりも甚大だ」
その翌日講演でパール氏は語ったそうである
どうか
わたしの判決文を通して
十分研究していただきたい
日本の師弟が
歪められた罪悪感を背負って
卑屈、頽廃に流されていくのを
わたしは見逃して
平然たるわけにはゆかない。
誤られた歴史は
書き換えられねばならない!」
と。
パール氏は広島の住職から頼まれて
一編の詩を揮毫したそうである
それは広島の本照寺に建立された
「大亜細亜悲願之碑」に刻まれているそうだ
パール氏が最後に来日したのは
昭和41年
80歳になり持病の手術を受けたばかりで
生命に関わると訪日は反対されたが
パール氏は
「もう一度だけ日本を見ておきたい」と
強く希望されたそうである
パール氏はこの訪日3ヶ月後に
亡くなられたそうである
このように
わが国のこれからのために
アジアの、
世界のこれからのために、
命をかけて私たちに訴え続けて
くださった方のこと
知っていこうとあらためて思う
今日
手に取った本からの学びでした
歴史は虹のようなもの
その只中にあると
水滴しか見えず
離れて初めて虹が見える🌈
戦後7年経ってよりはっきり虹🌈を見た
パール氏はこう書いたそうである
【抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に 幸あれ】
と
創立記念日
本校の創立記念日は
11/5
えっ??
学校の創立が秋??
しかし、近頃最近100周年あたりを迎えた
学校は11/5というところが結構ある
なぜなんでしょうねー
それは尊敬する明治天皇のお誕生日を
みんな本当は「創立記念日」にしたかったの
でも、やはり同じ日は
失礼だから
少しずらした11/5になってるの
昨日「昭和の日」
の翌日、
クラスでゆっくり話できる時間が
棚ぼたで転がり込んだので
「もともとこの日はなんの日だったのでしょう?」
というお話から
この話へ
昭和天皇のお誕生日
では、昭和の時代のイメージは?
何があったイメージ?
戦争
そうね
終戦はいつか知ってる
これは結構みんなさっと答え出す
では、その約1ヶ月後何があったか、、
9/27のお話をする
御巡幸のお話をする
生徒乗り出して聞く
そして、今日の日誌に書かれていた
今日のロングで聞いた話は
いつもの歴史の授業では聞けない話だった
このお話を聞けて本当によかった
と書いてあった
よかった
嬉しかった
日本人という言葉を出したら
「僕も日本人です」と言う男の子
に
もっともっと日本のこと知ろう
と呼びかけた
色んなものがたった少しの時
10代(平成生まれ)と50代(昭和生まれ)
を越えて
交流した
天皇陛下のいらっしゃるわが国の
同志として
昭和の日
お守りくださいまして
ありがとうございます🙏
子どもの頃は
今日4/29は
「天皇誕生日」でした
昭和天皇陛下がお生まれになられた日
先日終戦の時のお話を
わたしより少し年上の
50代の方お二人としていた時のこと
終戦した約1ヶ月後の9/27
ただ一人だけの通訳奥村さんを連れて
マッカーサー元帥と会い
ご自身にすべての戦争責任があるので
自分の身はどうなっても構わない
しかし、
国民の衣食住に関することを
ご高配をいただけないだろうか、と
話される天皇陛下に
驚いたマッカーサー元帥
どうせ自分の命乞いに来られたのだろう
との予想はものの見事に裏切られ
わが身を捨ててでも国民の生活を守っていただけないか、と懇願する陛下に
私たちは守っていただきましたよね😭
とお話ししたところ
1人のかたはこの話をすでにご存知でしたが、
もう一方はこのお話を初めて
聞かれたらしく、
「そんな大切なお話が、
なぜ、国民みんなの知るエピソードになって
ないのですか??」
と驚かれておられました。
わたしも赤塚高仁隊長に聞くまで
知りませんでした。
しかし、今はネットで
奥村さんが亡くなる前に残したもの、
マッカーサー元帥が自ら書かれたもの
の中から
調べることができます。
https://blog.goo.ne.jp/arashigeru3/e/61335d83afafe6472fbfe8aaa9104bc4
その後、検索すると
さまざまなところで目にすることができました
自分が知ろうとしていなかったんだ、、
と😭
目をつむっていたんだ、と。
こんなわたしをも
天皇陛下は愛しお守りくださっているんだ、と😭
隣県の佐賀県因通寺でのエピソードは
何度読んでも涙が溢れます
https://blog.goo.ne.jp/arashigeru3/e/292a1b0328c41fb9dd54bd5cedd44d07
昭和の激動の時代を
生き抜き
私たち国民を
心より愛し
お守りくださいまして
本当に ありがとうございました
心より感謝いたします
宗像大社
福岡県にある宗像大社
それぞれ
の三女神を祀る
三女神は
天照大神と、弟の素戔嗚の
二柱のウケヒから生まれた神々
沖ノ島は今もずっと禁足地で
年に一度だけ決められた男子のみが
入ることができるが
いつもは神職がたった一人で
島にいらっしゃる
そのたった一人島に入られる
神職の方は
1,000年以上前からずっと
誰も見ていなくても
どんな状況でも毎日
海で真っ裸で禊ぎをすることを欠かさなかったそうで
それは現在も続いているそうだ
日本人はずっと昔から自然とともに生き
神とともに過ごしてきた民族
だと感じる
また、宗像大社さんは
道を開く神ともいわれている
辺津宮の奥の奥には
高宮という
古の祭場があり、
ここは
木が何もない空間の中央に
集まって不思議な生え方をしている
今もちょっと時空間が違う
神秘的なところです
昭和の造営の時には
出光興産から
3億円
出光興産の従業員一同から
6千900万円
全国出光会から
4千700万円が
寄付されている
あつい信仰に支えられた 場所
近くにある道の駅むなかた は
大人気で
お魚がとっても安くてうまい!
神社のあちこちに
光が✨
そして女神さまが祀られているので
でしたが、
なぜか、、
辺津宮の神殿は外そぎ。
表に出られていない方が祀られているのかもと
古の方々に思いめぐらせました
九州にお越しの際はご案内しますよ😆
また修験道の三大メッカ
の英彦山も近くにありますー✨
どちてぼうや
昔からちょっと変わった子だったことを
思い出した
変わってる人
は、今に始まったことではなかった💦
始めて世界地図を見た時
「国境」
の線に疑問を感じた
この線は誰が引いたのだろう、、
中学生になって
社会の専門の先生に会ったら
聞こうと思っていた
中学生になって
社会の専門の先生を見つけたわたしは
職員室に聞きに行った
「先生、国境線ってどうやって決まったのです
か?国によって広さが全然違うのはどうして
なんですか??」
また、中3になっても歴史の授業が明治、大正で終わってる💦
「あれー?
先生、どうして昭和やらないんですか?」
どちらの問いに対する答えも
そっかー!!とすっきりするものではなかったような、、
土地を人が所有する、ということも
よくわからなかった💦
土地は地球のものなのに
どうして誰かのもの!
になるのかがわからなかった
日本史の授業で
「懇田永年私財法」
という法律を習い
そうか、、
未開の土地を田んぼにしたらあなたのものって決まったんだーとちょっと思ったが
すっきりはしてなかった、、です
いろんな、
いろんな人が紡いできた
物語があるのだな、、
と漠然と。
そして、いま思う
昭和の時代を教えなかったのも
まだ戦争のまとめ、
見方を、
こう教えろ、いや、
それは、、
との、先生の抵抗だったのかも
将来、
自分で勉強し、
答えを
出してくれ、、
との
昭和の時代を生きた先生方の