古事記伝✨🌈私たちが願われていること

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弊立神宮春木宮司さまの著書

「神を受けつぐ日本人」より

 

私たちは民族の歴史や文化について、

「互いの違いを認め尊重しましょう」

などと口にしますが、

自国の歴史や文化について無知のままでは、

違いを認めようにもその資質に欠けます。

ただただ相手にすり寄って

「違いを認めた気」になっています。

歴史の中で生き残るには

「自国の歴史」

「先人の営み」に

敬意をもって接していくことが、

違いを正しく理解する基礎になると感じています。

 つまり、自分を知り、自国を知ることによって、

自主的、主体的に行動ができ、

その上で違いがわかり、他を尊重し認め合える日本人に成長していくのでしょう。

『心豊かに誇り高く生きる』とは

こういうことでしょう。

(引用 ここまで)

 

日本最古の歴史書といわれる古事記

 

神話について、当時こういうことが

あったのか、なかったのか、

について議論されることも多いですが

 

それ以上に大事なことは、

「私たちの祖先が、この物語に

どんな願いや意味を込めていたか」

ということだと学びの中で教えていただきました。

 

この中に日本人としての在り方や、

先祖が私たち子孫に込めた願いを

読み取ることができる、と。

 

古事記の始まりは

混沌とした世界が

天地に分かれだしたときに

そこにカミがいた。

そのカミの名前はアメノミナカヌシ。

 

同じ天地の創造を描いた聖書と比べると

えらい違いです。

聖書は初めに

全知全能の絶対神が天地を分けられ、

この世の全てを計画通りに

作られた!

 

古事記の始まり、

宇宙の始まりは

なんとなーく自然に曖昧に始まって、

なんとなーく、そこにカミが現れた

 

そこには私たちの祖先が、私たち子孫の民族の『彌榮』を願う心が込められているのではないか、と

伺ったことがあります。

 

なんとなーく始まったのは、

終わりを作らないため。

始まりをはっきりすると、

対の終わりも出現してしまう

 

日本人は曖昧だと言われ、

それに劣等感を感じる方もいらっしゃると思いますが、

劣等感など持つ必要ありません!

 

私たちはずっと、

何万年も前から

曖昧に作られ、生き、

だからこそ、

他のものとも和合できるのです!

そういう民族なのです😊

 

曖昧さに誇りを持ちましょう!

 

西洋のものと

日本のものと

どっちがいい、悪いではなく、

違っている、だけ

はっきりがいいって?

ほんと??

曖昧もいいとこあるよ👍

 

ということで、わたしが学んだ

古事記シリーズ✨

ゆるーく始めていきますー✨✨✨