日本独立ー緒方竹虎「世紀の遺言」

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福岡県屈指の名門校

修猷館高校

伝説の国語教師

小柳陽太郎先生

 

平成27年11月に亡くなられたにも

かかわらず、いまだに教え子たちが

毎月集まり、

「小柳陽太郎先生に学ぶ会」

を続けている

 

前福岡市議の富永氏も

陽太郎先生との出会いで人生が変わったと

話されていた

 

その厳しい教育は、

決して受験技術や世に処す手段としての勉学ではなく、私たちの中にある、生きた心を甦らせ、それを育てる教育であった、と

教え子さんたちが話すのを聞いた

 

ご存命中にお会いすることは叶わなかったが、

教え子の皆さん方が

そして、ご子息の左門先生が

陽太郎先生のいのちを、今も生かしている✨

 

この御本で

緒方竹虎修猷館創立70周年記念講話」

世紀の遺言に出会った

 

昭和30年5月

福岡県の伝統高校修猷館高校

70周年の記念の会に、

自由党総裁であり、多忙を極めた

緒方竹虎であるが、

後輩たちに「日本の将来」を語るために

万難を排して母校に駆けつけた

 

『私は皆様のような若い人に今日ここに立ちまして、心の底から訴えたい

 

日本の将来

それはようやくにしてかちとった独立国日本が(当時は占領の独立から2年)直ちに着手すべき「憲法改正」の問題であった。あの憲法が占領軍によって強制されたという事実はあまりにも露骨な、誰の目にも明らかな事実である。もちろん手続きを踏んで制定されたという形は取っている。しかしそれが占領軍によって強制されたという筋道はおおいようもない事実ではないか。〜日本が占領されている時、占領軍からの要請で当時の幣原内閣で日本の憲法を書き下ろし、まさに書き終わらんとするときに占領軍の方から今の憲法の草案を示され、そしてこれに20分の猶予を与えるから内閣において一応の検討をして結論だけを示せ、イエスというしかなかった当時の事実を、語られている〜

国家存立の基本をなすべき憲法が、かかる痛感極まりない過程を経て成立したということを不問にしたままで、どうして国民の独立の気魄が生まれてくることがあろう。

(中略)

どうか皆様こそ、

独立気魄の中心を持って任じ、

将来、

日本の三千年の歴史にそういう時代もあったが、それは九州の一角における修猷館の人たちによって日本再建の推進が行われたということを将来の歴史に残していただきたい』

 

と結ばれたのである。

 

翌昭和31年

緒方竹虎氏は69年の生涯を閉じられた

 

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今年始めに見た

この映画にもたんたんと

その過程が描かれていた

 

涙を呑んで

これから先を生きる日本人に託す思いが

繋ぐ思いが胸を打った

 

こんな大事なことを知らないでこれまで来て、本当にすみません💧