ジロウがいた夏🌻
三重にパラオ共和国から
2ヶ月勉強をしにきた
ジロウ・レメリークくん
の夏を追ったテレビ番組を
伊勢の宮川さんが
送ってくれた✨
パラオと三重の繋がりは深く
クニオナカムラ前大統領のお父さんは
三重県大湊のご出身。
船大工をされていたそうです
ジロウくんは3歳の時
家の事情で
ペリリュー島のナカガワさん
に預けられ、
ナカガワさんが亡くなるまで
育ててもらい
日本語は話せるが、
読み書きができないので
日本語を学ぶため
伊勢に勉強しにきた
しかし
「歴史」についても
伝えたい、という思いを持っていると話す
ペリリュー島には
日本の大きな飛行場があったため
その時
日本の守備隊1万に対し
米軍4万以上
米軍は上陸前に
何万発もの爆弾を落とし
「これで日本人は全滅しただろう
この島は2、3日で終わるだろう
もう大体日本兵はいないから」
しかし、上陸した途端
洞穴を掘って隠れていた日本兵に
狙撃され
始めに上陸した米軍は全滅
血で染まったオレンジビーチ
2〜3日で終わるはずだった戦闘は
11月24日まで70日以上も続いた
ペリリュー島には
余りもの血が流れた
多くの日本人が忘れてしまった歴史
『もったいないなと思う』
ジロウは言う
『だって、昔の日本人は日本のために働いたで
しょう。
それをちゃんとわかってやらないとダメ。
それを知らん顔したったらあかん。』
帰る前に宮川中学の生徒の集会で
戦争と平和について話をするジロウ
「もし、その時代にジロウがいたらどうしますか?」
『それは戦うしかないな
だって自分の国
そして家族
そしてみんな
守るためだからな。
日本兵はみんなそれを思って戦争をした
上の人はちょっと考えが違うかもしれんけど
な
腹とか胸とか撃たれても
そのまま死なんで突っ込んでいくからな
昔の日本兵は強い人やったからな』
「今でもペリリューに残る戦争の跡を見るとジロウくんはどう思いますか?」
『ジロウはそれ見たら中川さんの顔が写ってく
るみたいに見えるけどな。戦争をやってた人
の顔が写るように思う』
『ジロウは恨まない。
見たらすぐにわかるからな』
『絶対に忘れてはいけないのは
昔の人がどうやって生きとったか
それだけ』
ジロウが語る
素朴な
実直な言葉が
たくさんの
今を生きる日本人に届けられますように
『誰も悪くない』
保健の授業スタート
始めに問うのは
健康の概念
つい、目に見えるものばかりに
目が行きがちだが
目に見えないものが
健康を左右することも
あるよね、、
ということを
乙武洋匡さん、
大石順教尼さん、
大野勝彦先生、
塩沼亮潤さん、
らの例を挙げながら話す
それから今年一年で
学びたいこと、
を聞くが、
やはり、感染症について
学びたいという声がある
昨年も感染症について
授業をした
その中で
「過去の感染症と人類の歴史から学ぶこと」
の題で、課題を出したところ、
ヨーロッパで感染症が悪魔付きと見られ
家族全員が焼き殺されたこと
天然痘が流行った時、
かかった人を集落の外へ捨てるしか
手がなかったこと
奈良の大仏もその時に作られたこと
本当は感染力の弱い癩病の感染者が
人としての尊厳を奪われた歴史
エイズへの偏見
など、知識がなかったために
また、大勢のムードや流れに思考停止になり
誤った行動をとってしまった
人々の歴史を生徒は調べてきた
その中で、
わたしが『これ!いいね👍』と
全員に紹介したものがある
それは、
『感染症にかかったとしても
誰も悪くない』
と書かれたある男子のカード
誰もなりたくてなるわけではない
なった人を責めて何が始まる?
身近に何もない今のうちに
ちゃんと私たち確認しよう
あるものを見て生きる
台風で収穫間近のたくさんのリンゴが落ちた
大勢の方が絶望されたそうだ
地面に落ちてしまったリンゴ😭💧
丹精込めて育てられたリンゴ
悲しくて、これからどうしようか考えると
悲しくてどうしょうもない
その時、地面のリンゴから目を離し
樹にわずかに残った
リンゴを見た方がいた
「あっ!
あのすごい台風でも
落ちなかった
このリンゴを
一個いくらで
受験生に
どうだろう」
事実はひとつ
見方はひとつ以上
地面のものを見るか
残ったものを見るか
どっちをより多く見るかで
次の湧き上がってくる気持ちと行動が
違ってくる
失ったものばかり数えるな
お前にまだ
残ってあるものはなんじゃ!
と言い
失ったものばかり数えるルフィに
そこから目を離れさせ
絶望から
ルフィを救うことになった
ジンベイ親分のことば
何を見るか
ないものを見るのか
あるものを見るのか
どっちを見るか!
のお試しが
今日も来ました💦
軽いお試しですが💦
あるものに感謝していきます!
視点を変える
天外伺朗さん著
「祈りの法則」より 抜粋
ネイティブアメリカンの世界でも
裁判があります
しかし
現在の文明国とは
裁判の在り方のやり方が違うようです
AさんとBさんが紛争していたとして
長老の元に来た時
長老はスウェットロッジという場を
二人に協力させて作ります。
二人は無言のうちに協力します。
AさんとBさんに直接話させると
喧嘩になるのでそれはさせません
文明国の裁判のように
弁論を戦わせることはしないそうです
3人で作ったスウェットロッジの中で
まず長老が祈り、
Aが祈り、Bが祈ります。
それを何度も繰り返しているうちに
紛争はひとりでに解決してしまうそうです。
祈る
ことでなぜ
紛争が解決するのでしょう?
それは、
祈る、ことによって
「神の視点」を意識するようになる
「自分の視点」や「相手の視点」ではなく
『第三者の視点』から物事を見ることを
心理学ではメタ認知というそうですが
「神の視点」は究極のメタ認知
「神の視点」で物事を捉えることができれば
もともと紛争などは存在できません
これは
言語と論理で持って
自らの論理を主張して相手を論破しようとする
文明国の裁判より
はるかにスマートではないでしょうか
(抜粋ここまで)
子ども同士の喧嘩でも
お互いに自分の主張を
相手にわかってもらおうと
主張をしている限り
なかなか和解は難しいように思います
『視点を変える』
何かのきっかけでこれができた瞬間に
スッと意識が変わり、
相手を許すといったこと以上に
大きな心で物事を見ることができるようになる
のかもしれません
『フォースと共に在らんことを』
人は神に近く生きる存在にも
動物として生きる存在しても
生きることができる
自分で生き方を選べる精神を恵まれてこの世に生まれてきている
どっちに行くか人としての鍵はいつも自分が握っている
視点を広く持ち続けられますように
恐れと不安のエネルギーにドライブされた人生
天外伺朗さん
「祈りの法則」からの学びより
天外さんが2000人が集まる
フナイオープンワールドで
宇宙人に連れ去られた人のカウンセリング記録を書いた
ハーバード大学のジョンマック教授と
2時間の対談が予定された時
天外さんは四日間かけて徹底的に打ち合わせをやろう!と渡米
しかし、
聖なるパイプを受領した直後から
『打ち合わせは全く必要ない』ことがわかった
まさに、『わかった』としか
言いようのないほど明確に感じられた
それまで「綿密に打ち合わせしよう」
と言っていた天外さんが急に
「何の準備もせずいきなりステージに立って
何が起きるか見てみよう」
と言ったので、
ジョンマック教授はちょっと驚いたそうです
が、結果、その後もいろいろな偶然が重なり、
とてもとても盛り上がった対談となったそうです
天外さんは語ります
(以下引用)
今ほとんどの人は
「恐れと不安」のエネルギーにドライブされた人生を歩んでいます。
未来に対する恐れがあるので、
綿密に準備をし、計画や目標を作って、
その通りに進めようとします。
「恐れと不安」を克服するために必死で努力をし、能力を伸ばし成果を上げていきます。
「恐れと不安」を投影して敵を作り、
戦いの人生を歩んでいきます。
あらゆる人の
あらゆる行動が、
掘り下げていくと
そのベースに
「恐れと不安」が見えてくるのです
いま、
人類は、
何千年と続いた
「恐れと不安」のエネルギーをベースにした行動様式を離れて
「無条件の愛」のエネルギーをベースに行動する意識レベルへと
変容しようとしております
ジョンマックとの打ち合わせが
不要になったと感じたのは
わたしの「恐れ」が
なくなったことを意味しており
実存的変容、への一歩を踏み出したのは確かでしょう
(引用ここまで)
たしかに
思い当たることがあります
手放せるか
手放せないか
自分と対話して
手放す一歩を踏み出します
日本独立
]
今年の1月に見た映画
『日本独立』
映画『プライド』
と同じ監督さんが作られている
吉田茂さんに見込まれ、
戦中は田舎で自給自足の生活を
家族と送っていた
白洲次郎さんは
戦後の交渉「ミルクボーイ」(御用聞き)を
引き受ける
GHQの幹部に
「英語上手いじゃないか」
と言われた時
「君も練習すればもっと上手くなれるよ」
と言い返した話はちょっと有名
しかし、
この、米国が、ソ連の干渉前に
バタバタと日本国憲法を
間に合わせるやり方で設立しようとする
これに抗う日本国の国体を守ろうと
奮闘する
日本の憲法学者たち
譲れなかったのは
独立国としての条件である
『国を守る』という項目
【国を守るための国防軍を持つ】
ということと
ということ
しかし、
当時のいろいろな国の
寄せ集めを
当時の憲法専門家がいない中で決められた
『日本国憲法を受け入れるように』
言われた
当時、まだ
占領下にあった日本国
NO!と言えるはずもない
米国が作らせたものであるが
形としてそうではない形で発布され
それが戦後76年経っても
一度も改正されることなく
いま現在を迎えている
それはどれぐらい認識されているのだろう
『占領下ならいざ知らず、
一体、何年たっていると思っているんだ!
しっかりしろ!!』
という中條さんの檄が、
今も心の中に響いている