2回目の子宮筋腫

40代になってすぐ、

また激しい出血😵

 

貧血で倒れる

 

あー、

またかも。

 

子どもができたように、

でっかい😅固い塊がお腹にある。

 

手術はもうしたくなかった。

 

病院に行っても

経過観察か、

手術か、しか、

治る方法はない。。

 

しばらく置いたまま生活。

 

すると、

中洲のワイン会で出逢ったステキな女性から

キャナル近くのお店のお名刺いただく。

 

身体メンテの店長らしく、

誘われた。

 

店長に施術していただいて、

 

すぐ、病院に行くことを勧められた。

 

店長の友人が、福岡の大きな病院で師長をしているから紹介する、と教えてくれた。

 

その紹介していただいた病院に行く。

 

診断と、

前回の手術の話をした。

 

「前は、どこで、どなたにオペしてもらったの?」

『はい。〇〇先生にしていただきましたが、その後、宮崎に転勤になりましたので、その先生にはもうかかっていません』

「えっ?〇〇先生なら、今年福岡市の病院に戻ってきているよ」

 

「えーーー」

それなら、

もう一度、腹を切るしかないのなら、

1回目からの私を担当してくれた方がいい。

 

紹介状を書いてもらい、

懐かしい先生に再会。

 

先生としても、

もしかしたら辛かったのかもしれない。

 

2度も、

同じ人の腹を切ること。

 

〇〇先生に手術してもらうことになったが、

手術の方法は、

どちらでも選ぶことができる。

 

筋腫核摘出か、

全摘か。

 

40歳。

 

普通に考えたら子宮を置いておいても

妊娠できる可能性は少なく、

むしろまた病気になる可能性だけが残る。

 

全摘が最適だと考えるのが普通。

 

しかし〇〇先生は、

選んでいいと言ってくださった。

 

次来るまでに決めてください。

 

その間、

人との巡り合わせで

ある6歳の男の子と出逢った。

やっくん、という可愛い男の子は

不思議な男の子だった。

 

神様の仕事をする様に5歳の時に観音様が言われた。

自分は将来お医者さんになりたいが、

神様のお仕事はずっとやります、

という不思議な男の子。

 

子宮筋腫」の話をした時、

はじめは何もわからない感じだったけど、

途中から顔つきが変わるのがわかった。

 

スラスラと話し始める。

 

「お姉ちゃん、全部取った方がいい。

絶対その方が元気になる。

手術の後、どんどん良くなるよ。

僕が光を送るから安心して受けて」

 

とはっきり言ってくれた。

立派な絵のお守りもその場で描いて持たせてくれた。

 

決心した私は先生と約束した日に病院へ。

 

言わなければ!!

 

と思っていた私は拍子抜け。

 

何も言ってないのに、

先生は全摘の方向で話を進められている。

 

この流れに乗ろうと決心した

41歳なりたての2月だった😭

 

続く😘